コウキシンの向こう側

三十路女のつれづれ日常フォトエッセイ

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妊婦、コロナ感染 都内ホテル療養体験記(妊娠5~6ヶ月) 

発症日(Day1)

来週には子供の性別が分かると、ワクワクし疲れたので早めに寝ていたところ急に発熱。平熱が35.4°なので悪寒を伴って38.5°まで急に上がった所で「あ、これはおかしい。」と気づく。体が痛くて汗が止まらない部屋着を越えて布団まで濡らすほど2日は汗が止まらなかった。しんどくても体が痛くて眠れないのは中々に地獄だった。

発熱相談窓口に電話すると家から遠い所(同じ区の)をいくつか紹介されたがネット予約を見る限りでは当日に検査できそうもない&どうやって行くねん!(公共交通機関使えない)という事で自ら近所のPCR検査が出来るところに朝一番に電話し、妊婦であることを伝えると早めに診てもらえることに。

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PCR検査(Day2,3)

誰とも被らない時間に通用口から入り、問診、自転車置き場で検査。その後、妊婦も服用できる解熱鎮痛剤カロナールをもらい帰宅。翌日には陽性という電話をもらい、保健所からの電話やアプリへの登録を行い、職場や2.3日の間に関わった人達へ連絡。

妊婦ということから入院勧告が出されたが、病院の空き待ちとのことで待つことに。旦那とは1LDKで住んでいる中、できる限り部屋を分け隔離して過ごした。(結果旦那は感染せず元気という奇跡。)

基本的にホテル療養や入院も自分では予約は取れない。しかし、東京都の管轄のホテル予約を担当している部署に自ら電話して予約することはできたので、その方法で医療機関特化型ホテルを探すことに。

これが中々大変だった。熱が下がり、体調が安定した日だったから頑張れたものの丸一日色んな所へ電話する事になったから。区の保健所と都のホテル担当部署は全く別なので双方の結果を双方に伝えたり、伝えたことが漏れていてまた確認作業をしたり、産婦人科にも指示を仰いだりと。
保健所に任せっぱなしだと大変じゃなかったかもしれないが、いつ空くかわからない、隔離期間まで自宅療養になる可能性も高い、レトルトなどの配送やパルスオキシメーターは最短4日後になると言われ私は自分で動かずにはいられなかった。

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↑妊娠期で唯一飲んだ薬

 
(Day4)

何日めかにやっとホテルをとれた時にはホッとしてまた熱が上がった。← この時点では熱は上がったり下がったりを繰り返し、頭痛、咳、鼻詰まりが後をひいていた。体調が優れないまま約1週間分の荷造りをせねばならなかった。咳のしすぎでお腹に力が入ってしまいお腹の赤ちゃんがとにかく心配で、どうにか無事でいてと願っていた。

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(Day5)

専用護送車に揺られホテルについてからは、防護服を着た方から説明を受け、自分の名前が記載された封筒を受け取り体温・酸素濃度・血圧などのチェック、看護師からの体調聞き取りを受け全てが終わる頃にはグッタリ疲れ切ってしまっていた。元気な時に泊まる観光用ホテルとはまた違い暗く寂しい雰囲気がより気分を沈ませたので、ハンバーグ弁当をいただき早々に眠ることにした。

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↑大体毎日3食こんなお弁当でした

 

(Day6)

朝6時50分には館内アナウンスが鳴り響き、体調記録をしてくださいとの声に飛び起きた。ご飯の時間と体調記録の時間が決まっており、その都度アナウンスが流れるため、規則正しい生活が身につきそうだと思った。でもやっぱり部屋の外に出られないことはツラく。例え寝る前にお腹が空いても耐えるしかない状況に「あー、コンビニ行きたい」と思った。これから療養する人は食料、飲み物、お菓子など好きなものを持っていくことをおすすめしたい。体動かすこともないのにしっかりお腹は空くもので、私の場合は赤ちゃんが栄養を欲してるんだなーと「ごめんね、外に出れたら美味しいもの食べて栄養届けるからねー」と伝えて乗り切った。

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↑ 1週間過ごす部屋(+トイレお風呂)

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↑唯一ある窓からの景色

(Day7〜9)

リモートワークをしている人だと日中仕事をしていたのかもしれないが、私は保育士(持ち帰り仕事不可)なので本当にすることがなく、絵を描いたり、ゲームをしたり、映画を見たり、友達と電話をして時間を潰した。隣の部屋から聞こえる咳こみや食事受け取りの際に増えていくお弁当の数にまた不安を感じた。私は妊娠してからパンばかり食べていたので日々あまり変化のない弁当内容がつわりを重くし、耐えられなくなったので旦那にお願いしパンやドーナツの差し入れをしてもらい後半はだいぶそれらで乗り切れた。毎日内線電話してくれる看護師の方々も本当に優しく、体の様子をチェックしてくれ安心もできた。また、この頃初めて胎動を感じる事ができ「あぁ、生きてくれてる」と感じたことがかなり励みになった。    

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↑クレヨンで描いた田舎風景(ずっと部屋に飾ってた)



(Day10)

6泊7日のホテル療養も終わりを迎え、やっと外に出られるという幸せから飛び起きた最終日。(最終日には体が生活リズムに慣れ6:50の館内アナウンスより先に起きれるようになっていた。)退所に関する資料や出入り口で見送ってくれたスタッフの方々、看護師の方にも「お疲れ様でした」と声をかけられ、少し達成感を感じた。外に出たら何がしたいか、何を食べたいか色々考えていたのだが、とりあえず心地よい春の陽気にボーっと佇んでしまったのが現実。近くのベンチに腰掛け走り回る子供の声に耳を傾け、キラキラ光る空気を眺め世界は美しいと涙が溢れた。

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こんなご時世に、沢山の大人が関わってくれた。お世話になった。
今ある当たり前の幸せに感謝してこれから生きていこうとそう思ったホテル療養だった。

 

その後(Day12)

その数日後、産婦人科に検診に行くとスクリーニング検査というのをしてもらえ、母子共にとても健康なこと、かなり大きい子だということ、性別は多分女の子だろうということを教えて貰い、とにかく安心した。コロナを一緒に乗り越えた戦友のようなこの子を、美しいこの世界に無事産み出してあげることが今の私の勤めなんだなと改めて思った。

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↑手で顔を隠してるらしい(どこがどこなのか…?)

 
今現在(Day14〜)

発症して2週間以上経つ今でも咳は止まらず、痰に苦しんでいます。気管支炎っぽい症状です。後遺症は長く続くとも言われています。本当にもう二度と感染したくない。

感染者数が減ってきているとはいえ、ゼロではない。
重症化リスクを抱えている人は山ほどいる。

コロナの感染力は本当にすさまじい。

今回身をもって体感したので、その事実を忘れずにこれからも感染予防を徹底していきたいと思った。

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ここまで読んでいただきありがとうございました。